出会いという恐怖
こんなブログを見つけました。
「申し分ない幸せ者だと思った。幸せな家庭を築くことができたし子供も健やかに育っている、億万長者でマイホームを購入したし、とんとん拍子に経営している会社は一部上場企業へと発展していった・・・こんな風に人生ゲームではうまくいっていたのに現実は本当に怖い。出会いがないおかげで結婚なんて程遠くて、自分のことを恋愛対象として見てくれる女性が現れるときが来るのかと、ある意味では自分自身を恐怖にも感じることがあるのです・・・」
出会いを探している男性は、この言葉の意味がよくわかる!といったところでしょうか。恐怖こそいろんな形に変わって自分自身を痛めつけてきます。
それにこれを乗り越えることができなければどなりませんが、でも生きて入れば何でもできることを知ってほしいと思います。自分自身が生きているのであれば、生きている人との出会いはいくらでもあるんです。でも、死んでしまったらそれで終わりですし何もできません。
これって重い言葉のように思うかもしれませんが、普通の人は毎日死を意識しながら行動を起こしている人って少ないと思います。明日死ぬかもしれないから出会いをさがしにいこうとかおもいませんよね。
学習する恋愛
出会いを探すということはどういうことかということを理解していると、もっと簡単に出会いを探すことができるのです。
しかし、前述した男性のようにマイナスな思考が働きすぎているし、しかも少々ながらも現実逃避しようとしている傾向が見られます。ちょっとした失敗をすると、こういう人はいつまでもくよくよしているのです。
でもくよくよしているということは非常に残念な脳の働きになっています。脳の働きは非常に単純です。出会いがない出会いがないとばかり考えていると実はずっと出会いがないまんまなんですよ。
要は常に考えている内容を学習するようになります。毎日パソコンを使手いればどこにどの文字があるのかがわかるようになるように、毎日それを意識していることが脳は強く学習するのです。
よって出会いがない、出会いがないとばかり考えているとそのマイナス思考がさらにマイナスを生むことになり、そこに重ねて悪いことが起きるともうここはくよくよしている自分しかいなくなってしまうのです。そこから抜け出す方法は実に単純です。
そのくよくよしていること以上にプラスのことが置きさえすればくよくよするこことがなくなります。落ち込んでいる人間に対して「いつまでもくよくよするな」と言いますが、それは非常に理にかなった言葉だということがわかります。
私は出会いがない運命・・・
理解できないことがどんどん起きていきます。自分自身が思っていることとは裏腹に物事が進んでいくと強いストレスをかんじるのです。出会いを探している人がどうしても探すことができない理由としては、出会いに執着しすぎているからです。もしくは本当は関心がないからか・・・どちらにしても出会いを探すこと自体間違っているということをここでお知らせしておきます。
なぜなら出会いは探すものではなくて気づくものだからです。探すということは強い意識のもとにそれが起こらないかどうかということに集中している状態です。恋は盲目だといいますが、出会いを探すことだって何をしでかすかわからない盲目な状態なんです。
しかもその盲目状態に気付くことができないといった症状です。これはもう重症です。でも世の中にはいろんな人がいて、周りがどんなにあきらめろと言っても出会いを探すことを辞めずに毎週のように合コンに参加してはダメで終わり、二次会には参加できず連絡先すらも教えてもらうことができないような、同情するにもしきれない人間がいます。
それでもこれからのことを考えると、やっぱり本人には言っておいたほうがいいと思ってまわりも考えた結果本人に、お前はいくら出会いを探しても無駄だよ・・・なんて言わなければならにはめになるのです。周りのことを考えると大変いい迷惑です。
というわけでここでそろそろ気づくべきではないでしょうか?世の中には探しても無駄なものだってあるということ。マンガを読んでいてもあきらめたらそれが最後だなんて言っていますし、ジーンとくる言葉ですが、時としてあきらめることが周囲に迷惑をかけないことなんだということだってあります。できることなら早くきづいてほしい。出会いを探しても探しても見つからないとき、
「いつか出会うことができるかもしれない素敵な異性」
なんてあなたの前には現れないんだということを。
歯がゆい出会い
これを言ってしまったらこれまでの言葉に意味がなくなるのかどうかはわかりませんが。実は、あきらめたころにそれがやってくるという可能性があるというのは現実にも起こっているのです。
タクシーって拾いたいときには全然通らなかったり、反対車線ばかりにタクシーが来るといった経験することがあると思います。それと同じなんです。あきらめが肝心という言葉があるようのそればかりにこだわっていけませんという昔の人が経験したことがきちんと言葉としても残っているのです。